子供を見失わない、責任や主導権は全て親にある

■停滞しすぎて、子供を見失ってはいけない

不登校に対するアドバイスで以下のような例が頻繁に見られます。

「子供に対しては今のまま、親は子供の言うとおりにして待ちましょう」

これは一見すると第2にイヤの壁を作らないという点において、
正しいように見えますが、これでは親は不安になって当然です。
何故なら子供のことを見失ってしまう可能性があることと、
親も自分が何をすればいいのか行方知れずになってしまいかねません。

大人になって社会に出ていくということは、前に進むことを意味しており
努力なくしては変わっていけません。
にも拘らず、現状維持以下である停滞を肯定することは良くないでしょう。

親は子の言うことをそのままに、子供は好きにさせるでは
一体誰が子供を導いていくのでしょうか。
不登校は子供だけでは絶対に解決することができません、
導いてあげる人がいて初めて解決に向かって行けるのです。
導く人がいなくなった子供は、ただ漂流するだけの存在となります。

子供が前を向いていく様子は、凧揚げの凧です。
そしてその凧を親が紐で引いているのが不登校への取り組み方です。
あるときは紐を緩め、ある時は紐を引っ張る。
ケガや事故に遭わないように、紐という切っても切れない強いきずなで
一定の距離を置きながら見守るのです。

停滞するということは、その紐から手を離してしまう事です。
その紐は絶対に切ってはいけませんし、離してはいけません
良い大人のところへと凧を導いてあげるのが親の役割です。

自分が苦しみから解放されたいがために、紐を切ったり離したりすれば
子供は制御が利かずどこかに墜落してしまうことでしょう。

■主導権、責任ともに親にある

子供が不登校になると、親は過去を振り返ります。

・今までしてきたことが間違っていたのか
・どこで道を間違ったんだろう
・本人の望むようにさせればいいのか
・したいということを全て聞き入れたほうがいいのか
・親のエゴを押し付けてしまったのだろうか

こうやって過去を振り返りますが、それに意味はありません。
むしろそんな考え方をすることは間違っています。

子供の思うようにさせることが、教育ではありません。
もし子供の思うがままにさせたら、何年、何十年と振り回されて
解決など遠くに消え失せてしまいます。

あくまでも主導権は親にあります。
そして責任は親が取らなくてはなりません。
それが親に課せられた義務であり、子育てとはそういうものです。
放棄していいわけがありません。

子供の話を聞くことは非常に良い事です。
何かを訴えかけているわけですし、その会話から解決に導けるよな
第1のイヤの壁のヒントが見えてくることもあるでしょう。

ただしネガティブな話をずっと聞き続けるのは得策ではありません。
イヤだ!という感情が増大して脳にインプットされてしまい、
そこから前に進むことができなくなってしまいます。

子供に決定権を渡してはいけません。
子供に「どうする?学校行ける?」と聞いてはいけません、
「どうする?」と聞かれても子供は答えられるわけがないからです。
行きたくないと言ってるのに「どうする?」と言われても、
行きたくないよ、分かってるでしょ!となります。

親が決められない事を、子供が決められるでしょうか?
自分に置き換えてみてください、無理だと分かるでしょう。